はじめに
猫の骨盤骨折は我々臨床獣医師が比較的多く遭遇する病態であります。骨盤骨折はその骨折の程度により重症度は様々となります。
今回、私は交通事故により骨盤骨折を起こした猫ちゃんを診察、結果的に手術を行いました。
手術は満足いく結果となり成功を遂げましたが一方で患者さんは手術から6日目の晩に亡くなってしまいました。
今回の骨盤骨折には手術で整復するという大問題も有りましたが、患者さんの生死に関わる大変大きな問題が他にも潜在していたと思われますのでその難しさを紹介させていただこうと思います。
症例
雑種猫、年齢推定3歳、メス(避妊済み)、体重4kg。
主訴
30分前に家の近くで動けなくなっているところを保護。しっぽと後足を怪我しているみたい。歩くことが出来ず元気もない。
診察
後躯が効かない状態。腰部に激しい痛み有り。粘膜の色が蒼白でショック状態。尾と右後肢に激しい外傷有り。
疑われたのは骨盤骨折。尾は外傷により皮膚が裂けて尾椎が露出一部骨折。右後肢は外傷による皮膚の欠損が認められました。
単純レントゲン検査
写真1、および写真2
右仙腸関節脱臼および右腸骨の頭側変位、左腸骨骨折。が認められました。
またその他の部位(胸部、腹部)では事故によると思われる深刻な損傷や障害はレントゲン写真からでは観察されませんでした。
よって骨盤に限定して起こった外傷を強く疑いました。
写真1は猫ちゃんを横にして撮影したレントゲン写真です。一般的に(ラテラル像と呼びます。)
写真2は猫ちゃんを仰向けにして撮影したレントゲン写真です。
写真1
写真2
腸骨の骨折部位は骨折により骨が重なって観察されます。(反体側に比べて骨が重なっているのではっきりしません。)
脱臼部分は明らかに骨と骨が離れているのが認められます。加えて上下に作成した緑色の線の長さに差が認められます。
(骨折により骨短縮が観察されます。)
治療
受傷後3日間は点滴による内科療法で状態の改善を目指しました。骨折の程度は勿論ですが軟部組織の損傷が深刻でした。
広範囲に渡る組織障害が認められました。受傷後4日目に状態の一応の回復を確認し骨折部位の整復の為の手術を行いました。
手術
手術は右側の仙腸関節脱臼部分は脱臼部分の整復を手術用スクリューにより行いました。左側の腸骨の骨折につきましては骨プレートとスクリューを用いて骨折整復を行いました。
写真3
写真4
術後経過
手術は無事成功し猫ちゃんは麻酔からも問題なく覚めました。術後管理としては鎮痛剤の投与(塩酸モルヒネの注射)抗生物質の注射、点滴等を行いました。
順調に回復を見せていたので手術後1週間の入院と退院後1ヶ月のケージレストの予定としました。(動かさずにずっとかごの中に入れておく。)
しかし・・・
猫ちゃんは手術後6日目の晩に突然急死しました。検査で異常が発見できていなかったのでその原因ははっきりとは分かりません。
予測としては骨盤周囲に重度の軟部組織障害が認められたので組織障害からくる全身性炎症症候群(SIRS)や感染症等を考えております。
(広範な組織障害が全身性の問題に移行した可能性。手術部位からの感染または尾や右後肢等に起こった感染が全身性に移行した。)
この結果に関して、私は獣医師として骨盤骨折を起こした猫ちゃんの治療への難しさ、そこに潜んでいる病態の深刻さを改めて痛感致しました。
今後も骨盤骨折の病態を持った猫ちゃんは来院することも有ろうかと思います。いかに救命率、治癒率を上げていくのかを考えさせられます。
また猫を飼育するオーナーさんに対しては猫の自宅内飼育の徹底と、早期の避妊・去勢手術を啓蒙していかねばならないと考えました。
骨盤骨折に遭遇したときに何を考えるべきか
この後は私が所属する中部小動物臨床研究会で発表されていた内容を引用させていただき作成したものです。
- 発生原因:
ほとんどは交通事故によるもので重度の打撲が起こっている。 - 骨折により起きていること:
強固な骨構造の破壊には巨大な外力が必要で、想像以上の軟部組織ダメージが遅発的に出現する。
全身性炎症性反応症候群(SIRS)が認められる場合が有る。 - 治療には何を優先して行うべきか?:
全身状態の改善がまず必要。その他の部位に関しては系統的な評価が必要。(循環器系、呼吸器系、泌尿器系、神経系、筋骨格系) - 整復開始の条件:(いつ手術したら良いか?):
全身状態の評価
外科処置の方法決定(数種の方法を検討)
予測される事態への対応法の検討(前もって不慮の事態に備える。) - 術前の機能的評価:
関節の機能を評価する。 - 術前の神経学的評価:
知覚、運動神経の評価、排便、排尿が有るかどうか? - 整復時に遭遇する可能性のあること:
軟部組織の損傷、出血等。 - 合併症について:
感染、尿路系への損傷(膀胱、尿管、尿道断裂等の恐れ。) 胸腔、腹腔臓器の損傷。 - 術後管理の問題点:
感染、褥創、骨折部離開、理学療法、リハビリ - 予後について:
機能障害、変形性関節炎、脱臼、難産
これらの数多くの問題点をクリアーした症例が良好な治癒を示していくものだと考えます。本HPを拝見された皆様にも骨盤骨折の深刻な一面を知っていただければ幸いです。